関西大学文学部考古学研究室「円満寺山古墳調査報告書」より抜粋

この古墳から出土した三角縁天王日月二神二獣鏡は魏の鏡であるか、 あるいは?製品であるか、更に同笵鏡、 同型鏡の定義から発して、 邪馬台国論争にまで展開されている鏡である。かって小林行雄博士はこれらの鏡は魏の制作による舶製鏡であり五面を一組とする同笵鏡であるとし、 これらの鏡を輸入した者こそ邪馬台国の盟主であり畿内説を展開した。これに対し、森浩一教授らは魏の鏡ではなく、鋳造方法も同笵鏡ではなく、同型鏡であると反論した。円満寺山古墳から出
土した唐草紋帯二神二獣鏡はこの論争に関連する資料である。すなわち小林説の五面一組の同笵鏡説に依るとするならば、円満寺山古墳以外に既に四面が出土しておりこの説の不備な点が指摘された。

円満寺山古墳は円満寺山々頂に営まれた前方後円墳に、竪穴式石室を構築し、石室内に木棺を
収めた埋蔵施設があり、鑑鏡三面を含む副葬遺物が出土した。この古墳は自然の丘陵に若干手
を加えた程度であって、特に周濠などの施設がなく、前方後円墳の様式からみても、古式の様相を
呈している。しかも副葬遺物に三角縁神獣鏡、画紋帯神獣鏡の外は直刀、剣と若干の工具類、そ
の他を副葬するだけであって、硬玉製遺物が全くみられないことは、この古墳の築造年代がかなり
古い時期のものとみることができる。この古墳の外形、形態、主体部の構造および出土遺物の観
察からして、古墳時代前期様式を備えるものと判断できる。従って築造の実年代は4世紀中葉か
ら後半期にかけてと判断される。また、石室の構造、三面の鏡からみて被葬者が畿内地方の政権
と何らかの連なりがあったことも推測できる。

円満寺山全景 頂上部に古墳がある。
撮影は昭和42年

天井石及び側石の落ち込み状態

側石の落ち込み状態

石材散乱状態 南より

側石の落ち込み状態 南より

石材落ち込み状態 北より

三神三獣鏡・刀剣類出土状況 西より

棺材・槍・鉄斧出土状態 西より

画紋帯神獣鏡・刀剣類出土状況 北より

三神三獣鏡・二神二獣鏡出土状態 東より

画紋帯神獣鏡出土状態 西側壁

二神二獣鏡出土状態 石室北西隅

石室の状態 北より

石室の状態 南より

東側壁

北側壁

奈良県北葛城郡河合村佐美田宝塚古墳と同形式

鏡の縁の部分の断面が三角形をしており
神獣の模様が刻まれている。魏の皇帝が
倭の女王に銅鏡百枚を与えたと魏志倭人
伝に記されているのはこの三角縁神獣鏡
が大半だったとする説もある。しかし、三角
縁神獣鏡は中国からは一枚も出土してい
ない。また、邪馬台国の時代とされる三世
紀の古墳からは発見されていない。大きさ
も中国の銅鏡より大きく、そのため三角縁
神獣鏡は我が国で造られた鏡であるとす
る説もある。

三角縁神獣鏡(波紋帯三神三獣鏡)
  径21.04Cm

出土した副葬遺物

兵庫県ヘボツ塚、京都府八幡西車塚、岐阜県長塚古墳で各一枚
京都府南原古墳で二枚の合計五面が既に出土した鏡と同じ形式
である。

出土したこの鏡は文様の非常に鮮明な鋳上
がりのよい鏡で、神像の一つは東王父を表し
冠を着し衣を広げた姿で左右均等に置かれ
ている。これと対称に西王母を表す神像は顔
の表現がやや右向きで、脇侍が配されている。
内区の外側には唐草紋帯があり、「天」「王」
「日」「月」の文字が読み取れる。

三角縁神獣鏡(唐草紋帯天王日月二神二獣鏡
  径21.7Cm

三角縁神獣鏡(画紋帯神獣鏡)
  径14.8Cm

銘文あり。明 竟 ? ? 紀 ? ? 長 命 宜 孫

大阪府八尾市郡川西塚の鏡より推測して最初
の二文字は「自」「有」と考えられる。「紀」の次の
二文字は左字の「令」次が「人」と思われるが決
定的ではない。 

三神三獣鏡出土状態 北より

円満寺山を南西より望む

鉄鏃・鉄斧

直刀3・剣2・槍1

円満寺山古墳